長勝彦先生からのメッセージ (2024.5.11)

英語授業研究会に参加していただいたみなさんへ

今年私は米寿を迎えます。このように高齢となったこと、加えてリハビリを要する障害を足に抱えていることなどから、こうして授業研究会に参加する事が非常に難しくなってきました。そのため、残念ではありますが、本日を最後に英語授業研究会から引退させていただきます。

思い起こせば、私が江東区立第三亀戸中学校(1975・昭和50年から9年間)、墨田区立両国中学校(1984・昭和59年から14年間)に勤務していた頃、当時所属していた東京都中学校英語教育研究会研究部では、1978(昭和53)年頃より続けていた英語語いの研究に没頭していました。

この研究は後に、語学教育研究所(通称:語研)の外国語教育研究賞(通称:伊藤健三賞)を受賞します。外国語教育研究賞とは、1996(平成8)年、本研究所第8代所長(1990年4月~1992年3月)・伊藤健三氏のご遺志によりそのご遺族からの寄付金を基金に創設されたもので、優れた実践的研究論文または著書を公刊した個人、学校、または団体を表彰し、賞金を贈って
その業績を讚えるものです。

私は、当時研究部長としてこの研究を進めていましたが、共に研究に取り組んでいた日臺滋之、三浦邦彦、北原延晃、原田博子先生他多くの若い研究部員の先生方から、「語いの研究だけでなく、明日の授業にすぐに役立つ実践的な研究もできないものだろうか」と要望が寄せられました。そこで、当時両国中学校で一緒に勤務していた杉本薫先生と共に墨田区立両国中学校を会場として、この英語授業研究会を毎月開くことにしました。1990(平成2)年9月のことです。

こうしてスタートした研究会では、日々の授業の改善を目指して、私自身の授業を元にしたり、参加者の授業実践のビデオを持ち寄ったりして、研究協議を重ねてきました。また本日のように、これまでに私が集めた「語学教育研究所(語研)パーマー賞受賞授業」や「全国英語教育研究大会(全英連)公開授業」のビデオなどを参観して、過去の優れた授業から英語指導の基本的な取り組みについて学び、授業改善への視点を話し合うことも行ってきました。

このような小さな研究会が実に34年間も続いて、今回で274回。ここまで回数を重ねてきました。誠に感無量です。

本日の参加者のみなさん、そしてこの英語授業研究会の志に賛同し、これまでこの研究会に参加されて、一緒に英語教育について語り合った多くの先生方、英語教育を支えてきていただいたみなさん、ならびに運営をお手伝いいただいた方々に、深く、深く、感謝致します。

どうもありがとうございました。

                    長勝彦 2024年5月11日

杉本先生、今後をよろしくお願いします。

あるとき、長先生とこんな話をしたことがあります

それは、この授業研を始めて数年後だったか、参加者が減ってきた時期でした。

「杉本さん、オレと先生のふたりだけになったら、これやめてもいいかな。でも、ひとりでも来ている限りは続けようね」「はあ…、 そうですね…」

幸いなことに「数名」はあっても、長先生と「ふたりだけ」の日は今日までありませんでした。僕や長先生のどちらかが不参加はあっても、どちらかはいました。

そして、参加者が増えるといいなと思いながらの「来る者は拒まず、去る者は追わず」も、長先生から教わりました。来る人はここで得られるかも知れない何かに期待しているはずだし、今まで来ていたのに最近は不参加、それはその人たちにそういう判断をさせた事情や都合があるだけだから、我々にできることは常に「次の機会」を準備しておくだけ。

「ふたりだけに…」という(あったかも知れない)未来が起こらなかったのは、ひとえに長先生の求心力だといえば話は簡単なのですが、そうなると授業研は、今創設以来の存続の危機を迎えたという展開になります。そして、あの「ふたりだけになったら…」という話から引き算して得られるのは「ひとりになったら…」という解です。

しかし、みなさんはその心配が杞憂に終わっていて、そうでない未来がすでに選択されていることに気が付いるはずです。今までも、今も、そしてこれからも、(BingoのMap Talkですぐに使い続けられる全ての時制において)この出入り自由な研究会のドアは、何人もの仲間が支え合いながら、開けっぱなしにしていてくれています。

やっぱり、やるべきことも、できることも、ずっと「次の機会」を準備し続けることなんですね、長先生…。

杉本 薫 2024年5月11 日